高知市上町よりこんにちは。
坂本龍馬ファンで歴史大好きな編集長小川です。
今年は坂本龍馬の生誕180年でしたね。二転三転ありましたが、欧州列強が植民地支配で日本に迫るなか、危機一髪で開国し異国の文化を取り入れることができた日本。その立役者のひとり「坂本龍馬」の生家の「今」を取材してきました。
時間に制限がある観光客の方々は、おそらく生家跡をみて「はい!次にいこうー!」ってなるんじゃないでしょうかね。代わりにわたしが生家周辺をゆっくりまったくぶらりしてきました。
観光客の訪れることのない「坂本龍馬の生家」周辺の街並み

「高知県高知市上町1丁目」
ここが「坂本龍馬」の生家があったところです。残念ながら今では石碑しか残っておらず、当時の面影をみることはできません。今からちょうど180年前にこの地に坂本龍馬が誕生したのです。
坂本龍馬については、また別の記事でくわしく執筆してみたいと思います。きょうの目的は「ぶらり」です^^

生家のすぐ横にある路地にはいってみます。
このあたりは、比較的新しい家と昔からある古民家が入り混じっている地域なんです。坂本龍馬の生家周辺なので、むかしの長屋風の建造物が残されていると思いきや、まったく面影がないのです。
路地にはいるとほとんど「民家」ですね。

昭和建築好きの編集長小川にとって、こんなクリーニング店が残っていると嬉しくなっちゃいますね^^
店主がいなかったので、パシャリ失礼いたします m(-_-)m スマヌ

あまり近所の喫茶店に行かないわたしにとって未知の空間!!
きっと近所のおんちゃん(土佐弁で「おじさん」という意味)たちがタバコをふかしながら新聞を見ているんでしょうね。いつか行ってみたいリストに入れておくことにします。
今日の日替わり定食は何なんでしょうかね。

生家があった電車通りから1本南側の道路。
高知市名物の柵のないどぶ川が流れています。学校帰りのこどもたちがジャンプで飛び越える度胸試しをしているのをたまに見かけます^^
この道路は、歩行者が川沿いの細い道路を通ることができるので、車がきても安心してゆっくる歩くことができるのです。

ここは坂本龍馬の生家にいちばん近い旅館「南水」さんですね。
町から少しだけ離れた静かな住宅地にある旅館。高知でリーズナブルな価格で和室がいいひとにおすすめです。

高知県の高齢化率は、秋田県、青森県につづき全国3位。
いたるところで「シャッター」の閉まった商店街があります。もう高知へ移住してきて4年になり、シャッター商店にも慣れましたが、ちょっと寂しい感じもぬぐえないですね。
そんな寂しい感じも「高知らしさ」のひとつなんです。

坂本龍馬の生家がある「電車通り」にもどってきました。
いろいろ生家周辺をぶらりしてきましたが、なにひとつ幕末の面影をみることはできませんでした。まあそれもそのはず。幕末から150年ちかくもたっているんですもんね。

ちなみに場所はちょっと東に1キロのところですが、坂本龍馬の生家がある「電車通り」の戦後10年経過したばかりの写真です。
高知市は戦後の空襲で、他の都市同様焼け野原になってしまっています。もし戦争がなければ今でも坂本龍馬の生家が古民家として残っていた可能性もあることでしょう。

あっ!足が映ってしまって見づらい!!まだ取材や編集の経験が少ないので許してくださーい m(-_-)m スマヌ
仕切り直し!!ここが坂本龍馬の生家跡となります。観光ガイドにも必ず掲載されていますね。多くの方が訪れる鉄板のスポットです。

生家跡には「上町病院」があります。
きっと観光客の皆さんは少なからず「がっかり」してしまうスポットだと思います。しかし、10分でいいので生家のまわりをぶらりと歩いてみてください。幕末の面影はありませんが、まだ「高知らしい」建物や雰囲気がたくさんのこっていますよ。
今日歩いたような場所は決して観光客が行くようなところではありません。だからこそ、生身の高知をみれると思います。観光客の方々にはそんな高知旅行を過ごして欲しいとおもっています。

横浜市から高知市へ35歳で移住した田舎暮らしに憧れる編集長の小川みのる(@Twitter)です。1部上場企業を退職。家族の介護の為に高知へ。「よさこい、お酒に寛容な県民性、高知らしいレトロな建物」が大好き。サラリーマンをしながら日夜執筆活動をしています。次の世代へわたしの好きな「高知らしさ」をバトンタッチするためにウェブジャーナルを運営中。趣味でトレランをしています。