高知市中須賀町よりこんちには。
梅雨の晴れ間でうだるような暑さに夏の到来を思いわくわくしている編集長小川です。
今日はワールドカップセネガル戦を深夜に観戦し寝不足の方も多いのではないでしょうか。わたしは野球好きなので、朝のニュースで結果がわかればOKなのです。サッカーファンの方ごめんなさーい。
さて、市街地整備事業によって町の広い範囲に「道路や住宅、公園」が建設される予定の高知市中須賀町。総事業費は133億円。町がそっくり生まれ変わってしまう規模。
以前も書きましたが、編集長はこの手の事業に反対ではありません。防災面で強化されれば、いざ震災の際も被害の拡大がおさえられるからです。しかし、それとひきかえに「思い出のある町の風景」がきえてなくなってしまいます。
編集長は「なくなる前に」この戦前からの風景を残しておきたいのです。多くのひとの記憶の積もったこの中須賀町の風景を。
自然なかたちで老いていく町がとても魅力的な中須賀町

昭和初期のレトロな町並みが残っている高知市中須賀町。
住んでいるひとと共に年を重ね、とても魅力的な雰囲気に包まれている。若い人の中には「古い家は嫌やき、新しくて綺麗なががえい」と思うひとが多いと思います。正直なところ、編集長も新築の家憧れることもあります。
しかし、編集長の家は築50年以上。1世代前の住人が残した爪痕がたくさん残っている家に住んでいます。大黒柱には子供の身長を書き残した印が残っています。なんだか目頭がウルウルしてしまいますね。

薄緑色したトタンの集合住宅。高知にはけっこう多いんです。
ところどころに錆が入り、昭和初期のイメージにぴったり。個人的にはこういう建物がある町並みが大好きです。浪人中の苦学生が一生懸命勉強しているイメージ。キテレツ大百科の勉三さんがいそう(あっ、20代の方にはわからないかも)。

少し新しめの集合住宅。
わたしも学生時代に裸電球に4畳半しかないアパートで暮らしたことがあります。協同トイレに風呂なし。近くの銭湯に通うというまさに昭和初期の生活。お金がなく贅沢ができなかった学生時代ですが、それはそれで楽しくいい思い出でしたね。

「いかちゃんく」という駄菓子屋。
ご存知の方も多いとおもいます。わたしが以前記事にした駄菓子屋でもあります。
60年ちかく、この中須賀町の地で駄菓子屋を続けてこられたのです。以前にくらべて駄菓子を買いにくる子供が減ったそうですが、それでも当時と同じように朝7時30分頃からお店を開け、子供たちが来店するのを店主の松村さんは待ち続けているのです。
子供たちにとって、学校と家以外に「居場所」となるところがあり、核家族が増えた家庭にはいない「おばあちゃん」が笑顔で出迎えてくれる。今では駄菓子屋というのはそんな貴重な場所なのだと思います。

中須賀町にある公園。
昔は多くのこどもが遊びにくる公園だったんでしょうね。今では雑草も生え放題。遊びに来る子供がいないということと、近隣に住む方々の高齢化によって、頻繁に手入れをすることができなくなったんだと思います。
むかしこの公園で遊んだことがある人達にとっては思い出の場所ですよね。雑草ばかりで立ち入るのも躊躇してしまうような公園になっていますが、多くの方の記憶の積もった公園であることには違いないのです。

まあ遊べないこともないと思います。
この公園に接している集合住宅はすでに空き家で取り壊しまじかなのだと思います。
公園にも近所の住宅にもひとの気配が感じられないのですが、なぜか不思議と懐かしい気持ちにさせてくれる公園でした。

じつはこの公園はある人物が住んでいた場所なのです。
その名は「徳弘孝蔵-とくひろこうぞう-(董斎-とうさい-)邸跡」。この徳弘孝蔵氏は実は砲術師範で、門人が450名ほどいたそうです。その門人の名に「坂本権平・坂本龍馬」の名もあるのです。
江戸時代末期、この中須賀町公園に坂本龍馬に砲術を教えていた方が住んでいらっしゃったという歴史的な町でもあるんですね。この公園は中須賀町の路地にある小さな公園です。しかも、多くの雑草に隠れてなかなか気づきにくいと思います。

ここは中須賀町のとなりにある井口町。ちょうど中須賀町から井口町に変わるあたりにあるアパート。
音楽教室をしているアパートなんですね。ほかのトタンのアパートとは少し違う雰囲気なので撮影してみました。一見、住人の方が住んでいるようには思えなかったので今では空き家なのかもしれないですね。
次の世代に引き継がれることなくこれらの風景が一変
トタンのアパート、川沿いの古民家、こどものいない雑草のはえた公園。
世代が変わるのと同時にこれらの風景が変わっていきます。道が広くなり、綺麗な新築の家が建ち、新しい公園が2つできる予定です。中須賀町に住んだことのない若い世代の家族がたくさん移り住んでくることでしょう。
これからまた新たな町で新たな「思い出」が積もっていくことでしょう。それが編集長にはうれしくもあり寂しくもあるのです。これは今の高知市から考えたら自然な流れ。あらがうことができないと思います。
せめてなくなる前にもう一度記録と記憶に残していきたい。
編集長小川はそう思うでした。
横浜市から高知市へ35歳で移住した田舎暮らしに憧れる編集長の小川みのる(@Twitter)です。1部上場企業を退職。家族の介護の為に高知へ。「よさこい、お酒に寛容な県民性、高知らしいレトロな建物」が大好き。サラリーマンをしながら日夜執筆活動をしています。次の世代へわたしの好きな「高知らしさ」をバトンタッチするためにウェブジャーナルを運営中。趣味でトレランをしています。