5分でわかる高知の「よさこい祭り」の歴史

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よさこい祭りが生まれた町高知市よりこんにちは。

高知のよさこい祭りはみるのも踊るのも大好きな「高知。おまちRASHISA」編集長の小川です。

2019年は5月1日に新しく年号がかわる年。高知のよさこい祭りは昭和平成と合わせて3つめの元号で第66回目の開催となります。

高知で生まれたよさこい祭りは、現在において国内200か所以上の地域および海外でも26以上の国や地域で開催されているのです。

よさこい祭りは常に進化をつづける

よさこい祭りは、1954年に市民の健康と商店街の振興を目的に高知商工会議所の発案で誕生して以来、多くの人々に支えられ、今では全国はおろか海外でも次々とよさこいチームが発足する人気ぶりです。

CHECK!!
・第1回よさこい祭り 1954年(昭和29年)
よさこい鳴子踊りは県外でも大受け(広島市)

よさこい祭り成立の軌跡

戦後、日本の各地では空襲によって多くの都市が焼け野原になってしまいました。街だけでなく、ひとの心も疲れきってしまいました。そんなとき、各地で街の活性化のために「お祭り」で活性化をさせようという機運が高まったのです。「高知のよさこい祭り」もそのひとつ。

「よさこい祭り」がほかの祭りと大きく異なる点があります。それは毎年、踊り・音楽・衣装・地方車を創造しているチームが圧倒的に多いということです。全国にあるお祭りとは全く異質なお祭りなのです。

なぜ「よさこい祭り」が全国のお祭りにくらべて「創造的」であるのでしょうか。それは1954年「よさこい祭り」がスタートした年にさかのぼります。

1954年(昭和29年)に高知商工会議所がさだめた「よさこい祭り」の骨組み
①商工業振興だけでなく市民のためのお祭りとし、会議所と高知市が共催する。
②1回限りの祭りい終わらせず、阿波踊りのように永続発展させる。
③新よさこい祭りその他にこだわらず、新しい時代にふさわしい、新しいものを作る。
④名称は市民生活に溶け込んでいるし高知にふさわしい「よさこい」を生かし、よさこい祭りとする。
⑤開催の時期は、将来を考えて阿波踊りの前とする。
引用:高知商工会議所内「よさこい振興会」より

祭り発足に奮闘した商工会議所の面々

この骨組みには、伝統のお座敷踊りであった「よさこい踊り」から、新しい時代になっても誰もが楽しめるようにとの想いと、徳島県の「阿波踊り」に負けない新しいお祭りの創造への意思が感じられます。

帯屋町を練り歩く踊り子隊

よさこい祭り成立への様々な課題

今では当たり前のように公道を使用し「よさこい祭り」が開催されていますが、当時「街頭パレード」という方式が立案されましたときは「道路使用」という様々な課題をクリアーしなければならなかったのです。

隣県の阿波踊りの場合は、道路交通法ができる以前から踊っていたので、法律的な課題とはならなかったのだそうです。しかし、よさこい祭りは道路交通法の成立後のことなので、課題をクリアするのも容易ではなかったのでした。

高知新聞社前で一踊りする宣伝隊の一行

よさこい鳴子踊り成立の顛末(てんまつ)

当時の高知市担当部門の責任者だった広松亀男経済部長の回顧録

昭和29年いよいよ会議所は関係機関とともに夏枯れ対策として、8月10日、市民の健康を記念する市民祭を行ない、2日間客寄せを含めてよさこい節で踊り明かすことにした。その出し物となるよさこいに付いては、南国博で製作されたものより更に魅力のある、黒潮の国柄にふさわしい豪華なものを新作することに決めた。そのいっさいの構想を一任された「作曲家 武政英策氏」は、多年、氏に意中にあった鳴子を取り入れ歌詞と共に作曲を完了し、よさこい鳴子踊りとして発表、五流派の振り付けによって今日のものの母体が生まれた。
引用:岩井正浩著書「これが高知のよさこいだ!」より

これが「よさこい鳴子踊り」成立の顛末(てんまつ)なのです。

改築となった市庁舎前に競演舞台が特設された

そして、その構想を一任された作曲家の武政氏は当時のことをこう振り返っている。

高知商工会議所観光部会の浜口八郎さんが「ー実は、市民の健康祈願祭に、なにか踊りのようなものをやりたいのだが、民衆にヒットするようなものを考えてみてほしい」との訪問をうけたのが、梅雨も明けた6月25日である。「祭りは8月10日、11日と決まったので、7月1日から練習を始めんと間に合わん。ひとつ隣の阿波踊りにまけんようなものを、歌詞も曲もいっさいおまさんが考えとうせ」
引用:岩井正浩著書「これが高知のよさこいだ!」より

とてもタイトな日程で武政氏は丸投げされたんですね(笑)。

よさこい鳴子踊り製作秘話
「第1回よさこい祭り」直前に作曲家の武政氏に製作を丸投げされた。しかも、よさこい祭りまであと1ヵ月半足らずにも関わらず「阿波踊りを超えるような」というかなりハードルの高い依頼だった。

そこから始まった武政氏の「よさこい鳴子踊り」の製作

審査前に入念な練習

よさこい鳴子踊りの構想を一身に背負った武政氏は、さっそくその晩から製作に取りかかったのです。そして武政氏は「伝統ある鳴子踊りに対抗するには”素手”ではだめだ、、」と考えたのです。

そこで思いついたのが「鳴子」「年にお米が二度とれる土佐でなにかやるのであれば鳴子がいい」と考えついたのです。

そして次は「リズム」。武政氏はしばらく鳴子を手にしばらく振ってみたそうです。武政氏は「阿波踊りは単純なデモンストレーションにすぎない。それなら、こちらはメーデーのジグザグ行進でいこう」と思いつき、「行進の時に直線に鳴子を打つことと、曲線的にまわすことの組み合わせ」を考案したのでした。

武政氏の考えたよさこい鳴子踊りの構想
  • 1、鳴子を使うこと。
  • 2、ジグザグ行進をすること。
  • 3、行進の時に直線に鳴子を打つことと、曲線的にまわすことの組み合わせ

この武政氏のよさこい祭りの構想案によって、いまでは多くの諸外国にまで広まった「よさこい鳴子踊り」の基本が出来上がったのです。

ライトに照らし出され、踊りがいっそう映える。

「よさこい鳴子踊り」の歌詞についての構想

武政氏はよさこい鳴子踊りの歌詞について次のように語っていたそうです。

当時、研究を進めていた「土佐わらべ歌」に「高知の城下へ来てみたら、じんまもばんばも、みな年寄り」という文句があった。また「郵便さんはしりゃんせ」の中に「いだてん飛脚だ、ヨッチョレヨ」というのがある。私はこのヨッチョレの言葉が楽しくてたまらない。また、よさこい祭りというからには、昔から伝わる「ヨイヤサノサノ・・・」という、”ハヤシ”があった。これも使ったら・・・。
引用:岩井正浩著書「これが高知のよさこいだ!」より

当時、この歌詞について様々なひとから「なんでこんな下品な歌を作ったのか」という批判を武政氏は受けていたのことです。

しかし、武政氏はこう話していたそうです。「歌詞はどう変えてもらってもケッコウ」と。

自由なルールが若者を惹きつける。

よさこい鳴子踊りの製作者「武政氏」が考える郷土芸能とは

武政氏は郷土芸能についてこう語っていました。

「郷土芸能は民衆の心の躍動である。誰の誰べえが作ったかわからないものが、忘れられたり、まちがったりしながら、しだいに角がとれシンプル化していくものである。要は、民衆の心の中に受け入れられるかどうかが問題で、よさこい鳴子踊りにしても、時代や人によって変わってきたし、これからもどんなに変わっていってもかまわないと思っている。」
引用:岩井正浩著書「これが高知のよさこいだ!」より

武政氏が考える伝統芸能とは
歌詞がどんなにかわってもいい。要はよさこい鳴子踊りが民衆の心の中に受け入れられるかどうかが問題だ

「よさこい鳴子踊り」のその後の苦労

夏の日差しに照らされて(中央卸売市場)

よさこい鳴子踊りがスタートし、街頭踊りでの演舞となったのでしたが、当初はなかなか前に進む振り付けではなかったため、街頭を流しての祭りにおいて課題となったそうです。

「3歩すすんでは1歩さがる」のように、商工会議所の意図をすぐには反映されるものではなかったのでした。

そして、再三、振り付け師へ「前進、前進・・・」と注文をし、少しずつ「前進一方」の踊りへと変化していったのです。

現在のよさこい鳴子踊りは、「正調」とともにアレンジされた曲がよさこい祭りの必須条件として生き続け、さらなる進化を遂げています。きっと、今のよさこい祭りを見たら武政氏も進化した「よさこい鳴子踊り」の姿にさぞ驚ろくことだと思います。

進化し続けた「よさこい祭り」は今年で第66回目を迎える

多くの苦難を乗り越えて迎えた第65回よさこい祭り。新たなチームが次々と発足し、当時からは想像できないような独創的なチームも登場しています。よさこいファンの中には「あんなのはよさこい祭りじゃない!!」という声もよく聞きます。

しかし、よさこい鳴子踊りを製作した武政英策氏は、「よさこい鳴子踊りは、時代やひとによってこれからどんなに変わっていってもかまわない」と話しています。

その武政氏の精神がよさこい鳴子踊りをここまで「進化」させたのだと思います。そして、故武政氏の想いに触れることで、明日から始まるよさこい祭りが今まで以上に魅力的なものとして楽しめることを期待しています。

2019年のよさこい祭りをぜひみにきてください。

【2019年版】高知のよさこい祭りを最高潮に楽しむ6つのポイントと感動必死の厳選6チームを紹介。

2019年2月26日
「高知。おまちRASHISA」のスポンサーリンクです


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