昭和30年代の高知市「おまち」

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昭和30年代のおまちの風景

いまはとてもきれいになっている昭和34年当時のJR高知駅の写真。

駅舎はむかしのままの一階建て。とても簡素で素朴そのもの。駅前にはタクシーの乗入れもなく、閑散そのもの。

当時は観光ブームに刺激されたのか、ワシントンヤシの苗が数本植えられていた。南国土佐の駅らしくすでに高知駅は新しい装いをなしつつある。

 

昭和35年2月下旬 大橋通り商店街

この写真の場所はおまちのアーケードになる「大橋通り商店街」。もちろん今も健在だ。

当時は鮮魚店を中心に市内随一の商店街だった。午後にもなると市内各地から集まる人、官公庁帰りにたちよる人、白い割烹着に下駄ばき姿の主婦たちでとても賑わっている様子がうかがえる。

写真は昭和35年2月下旬ころに撮影されたものだ。

 

昭和26年1月上旬 帯屋町商店街

当時、大橋通り商店街が市内随一であり、この帯屋町は浦街筋だった。そこに「中央公園」が戦後復興のために新設されたのをきっかけに、多くの商店が集まるようになった。

じつは、追手筋通りで毎週日曜日に開催している「日曜市」。当時はこの「帯屋町」で開催されていたのだ。しかし、商店街が発展していくにつれて手狭になったことで、昭和22年以降、いまの場所「追手筋通り」にて開催されるようになった。

 

昭和33年11月 はりまや橋交差点

高知県内で一番交通量のおおい「はりまや橋交差点」。

カナリーヤシが南国情緒を醸し出している。しかし、ヤシとビルに挟まれうつっている路面電車はとても素朴だ。当時、南国を観光の柱にそえようとしているようだが、まだひともまばらということを考えると、観光の春はまだ遠い印象である。

 

昭和33年2月下旬 追手筋通り

戦後復興のさなか、折からの南国ブームにのり、県外観光客をまずは高知城へ案内しようと、カナリーヤシを植えるようになった。

いまをご存知のかたはさぞヤシの植えたばかりの風景に驚かれることと思う。

ほとんど人影もなく、当時の追手筋通りは今とくらべまだ閑散とて寂しい印象がある。

 

昭和10年4月下旬 江ノ口の金曜市

江ノ口とは、高知駅の北西にある愛宕町にある。

当時の金曜市は、愛宕町1丁目から西にのびる寿町の町すじに100メートル近く店が並び、そのお店の数も40店舗ほどあったという。

戦時中は一時中断していたが、その後27年から現在の愛宕町土讃線沿いに移っている。

高知市内では、月曜日をのぞき「火曜市、日曜市」と呼ばれどこかで開かれている。

 

昭和33年11月下旬 高知県庁舎

想像できないだろうが、ここが現在も同じ場所に建っている「高知県庁」だ。

城山を背景になんとも大正ロマンあふれる情緒ゆたかな県庁舎だ。この庁舎も古くは土佐藩政のときから行政の中心だった。幾度が時代の大きなうねりを乗り越えてきた顔なのだ。

 

おまちらしらの原風景

土佐藩政時代から今日まで、いろんなことがおきた。その中でも戦争がいちばん大きいと思う。

昔からの建造物の多くをうしなった。しかし、高知にはまだ多くの高知らしい建物がのこされている。はじめて高知にきたひとが「なんだか高知らしい」と思ってくれるようなまち。

でもこのままいけば「どこでもあるような地方都市」と言われかねない。

少しでもおおくの高知らしさを次の世代に残していきたい。昭和30年代の風景をみて編集長はそう強く感じた。

 

 

参考文献:「土佐を歩くー風景は語るー上」 著者 山崎 修

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